どうして勉強するのか?はあなたの「思い」のためで外部の責任じゃない

どうして勉強をするのかはあなたの「思い」のためで、例えあなたが勉強しなくてもその責任は全てあなたに反映されるだけです。


私は、「勉強が好き」なのが良い事と言う気もありませんし、悪い事と言う気もありません。


物事の好き嫌いというのは、あなたの主観やあなたの価値感なわけです。


そこに絶対的な優劣はないのです。


「サッカーが好き」「サッカーが嫌い」に絶対的な優劣はありませんし、「この番組が好き」「この番組が嫌い」に絶対的な優劣はありません。


何が好きで何が嫌いか、それはあなたの価値感なわけです。


あなたが「サッカーが好き」で「サッカーをやりたい」と思ったならば、やれば良いだけの話ですし、 あなたが「サッカーが嫌い」で、「サッカーをやりたくない」ならやらなければ良いだけの話です。 ※もちろん社会のルールは厳守ですよ。


勉強するのは、自分の「思い」を通せるだけの力をつけるため?


また、やるかどうかの基準が、好き嫌いだけではない事もあります。


あなた自身が、「勉強をやるべきだ。」と思ったならば勉強すれば良いですし、「勉強をしなくても良い。」と思ったならば、勉強しなければ良いだけの話です。


そこに絶対的な優劣はないのです。


優劣はあなたが決めるのです。


「将来を考え、やる必要があると思う。」ならやれば良いですし、「将来を考えてもやる必要はない」と思うならやらなければ良いだけの話です。


どちらを選んだとしても、その決断は全てあなたの責任なのです。


「将来に必要かは分からない。」、「今はまだ、判断できるレベルにいないから一応勉強やっておく。」というのもあなたの判断で、その結果の全てはあなたの責任です。


もしくは、「どうしたら将来に必要だと分かるのか。」を考え、実行していくのもあなたの責任です。


あなた自身がどう考え、どう判断し、どう行動するかは、全てあなたの責任なのです。


プラスに働く事もありますし、マイナスに働く事もあります。


それらも全部ひっくるめて、あなたの行動は全てあなたの責任なのです。


ですから、人から言われたからやるとかではなく、あなたはどう思うのか、どうしたいのかが重要なのです。


そして、対象の物事に対して、勉強していない人(学校の勉強というわけではなく)の話やその意見には力がありません。


その人自身にも力がついていきません。


言葉が悪いかもしれませんが、いくらわめいても、その現状を変えることができなくなってしまいます。


わめくという事は、何かの不満を変えたいという事なのに、変える力がないわけです。


そうすると、自分では変える事が難しいので、外部の責任にしようという考えにも陥りがちになってしまいます。(もちろん人によります。)


そうすると、外部はコントロールできないのに、外部次第で自分の思いを実現できるかできないかが決まる状況に追い込まれてしまいます。


自分次第で、自分の思いを実現できるかどうかが決まるのではなく。


それは嫌じゃないですか?


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より可能性のある機会を得るため?


また、勉強して(学校の勉強という意味ではなく)、自分自身に力をつけると、自分の思いを実現しやすくなるという側面があります。


自分に力があれば、自分の力でその現状を変えていく事ができる様になる可能性も高まります。


他人を変えられなくても、打ち手を自分で考えてやればいいだけなので、現状を変えられるわけです。 その実力を自分でつけているからです。



また、自分がやりたい事のために(自分の思いの実現のために)、直結していない事でもやらなくてはならない事は数多くあります。


自分が実現したい事に役立つ「機会を得るために」必要な事です。


今勉強している科目が、役に立つとは思えなくても、機会を得るために必要ならばやるだけなのです。


そういうルールなのですから。


例えば、「将来こうして暮らして生きたい」という事のために、大学で詳細に学ぶ必要があるのならば、間接的に今の科目の勉強が役に立つわけです。(直接的にも役立ちますが。)


大学に入って学べるという「機会」が得られるからです。


自分の思いを実現する可能性の高い、より良い機会を得るために、その科目で点数を取る事が役立つという事です。


ゲームしたいけど、ゲーム機本体を買いたいわけじゃないというのと同じです。


ゲームがしたいのならば、買いたくなくても本体を持っていなくてはスタートできないのです。


自分の思いを実現できないのです。


そういう「ルール」なのですから。


勉強する事、しない事の結果は誰に降りかかってくるのか?


あなたが決めた行動の結果は、プラスにしろマイナスにしろ、いつだってあなたに返ってきます。


どんな選択であっても「自分で責任をとる」、「自分に起因している」と自覚する事が必要です。


あなたに降りかかってくる全ては外部の責任ではないのです。


分からない問題、解決できない問題、やりたい問題、やりたくない問題、解決できる問題、その責任を外部に求めてもどうなるか分からないのです。


外部や、外的要因をコントロールするのは難しいからです。


そしてコントロールしようとしても、それはどこまでいっても、100%にはなりません。


100%コントロールできるのは、内部(自分)だけなのです。ですから、内部に注力するのが大事なのです。


また、外部は責任をとりませんし、そもそもその責任はありません。


誰かに行動や選択をおすすめされた結果マイナスに働いたのだとしても、あなたが外部の情報を信じ、そのように考え、「あなた自身で決断し、あなた自身が行動した。」という事に変わりはないからです。


いつだって、あなたの行動の全てはあなたに降りかかってくるのです。


「教えてくれなかったじゃん!!」・・・・・え?


勉強しない事による結果を「知らなかった。」というのも同じです。


「知る」事もできたのに「知らないままでいる」を、自分で意識はしていなくとも、選んだという事に変わりはないのです。


そして、それを言った所で「知っていた」事にはなっていかないのです。


結果は変わらないのです。


「知らなかった」と言うのが良い、悪いではなく、「結果」は変わらなくても良いのですか?


「違う結果を得たい」から、出てきた言葉ではないですか?


そのためには、前もって準備し、あなた自身で進まなくてはならない事もあるのです。


プラスの面で考えると分かりやすいと思います。


誰かの情報を信じ行動した結果、プラスの事が起きたとします。


そのプラスの事は、自分の手柄(プラスの責任)にして、マイナスの事が起きた場合には、外部の責任にしていませんか?


プラスもマイナスもあなた自身の責任なのです。


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