効果的な勉強方法がゴールでは合格という目的地に近づかない。

何のために効果的な勉強方法を探しているのか?


受験勉強をするにあたって、「効率のいい勉強法」を探している方も多いと思います。


”効率のいい勉強が見つからない・・・。””もっと楽な勉強法が知りたい!””もっと簡単に受験に合格する方法が知りたい!”などなど。


もちろん、「楽な方法」があるならば、誰だって、そちらに目がいってもおかしくないのかも知れません。


ですが、「勉強法」を探している「だけ」では、合格までの道は全く進めていないという事を認識しておかないと、とんでもない事になります。


目的地はどこにある?


例えば、今あなたが山頂を目的地に決めたとします。


山頂まで行くルートは、一つだけではなくいくつもあります。


A、B、C、D、E、・・・A'、・・・A"、・・・・・。と、ルートは無数に存在しています。


中には、最良と呼ばれるようなルートがあるかも知れません。


ですが、最良なのですから、見つけるのも困難かも知れません。


そして、少し面倒そうで、近道とは言えなさそうな、ある程度良さそうなルート(王道的な勉強方法)は割とすぐに見つかったとします。


ある程度良さそうなルートを見つけ、その時にそのルートを登り始めた人と、そのルートを見つけたけれども”更に良いルートがあるんじゃないか?”と、また探し始めてしまう人がいた場合、どちらが山頂に近づいていると思いますか?


どちらがより確実に山頂に近づいていると思いますか?


明らかに前者なのです。


もう登り始めているからです。


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どの時点で、最良のルートって判断するの?


”もっと良い勉強法があるんじゃないか。”
”もっと良い参考書があるんじゃないか。”
”もっと良い塾があるんじゃないか。”など、
これらは全て、ルートを探している行為です。


実際に山を登っている行為ではありません。


もしかしたら、更に良いルートを運良く見つけられるかも知れません。


ですが、そのルートが最良であるかはその時点でも分からないはずです。


その見つけたルートより更に良いルートがあるかも知れないですよね?


また新しい、より良いと思われるルートを探すのですか?


この考えは際限なく続いていくのです。


そのとき、どこまで進んでいるの?


そして気付いた時に、「登り始めなければ進んでいない」と理解した”その時”に、時間が残っているのかは分からないのです。


そして「更に良いルート」を見つけただけの、「その時点」では、まだ山の麓にいるのです。


山頂までの実際の距離は「探し始めた時」と全く変わっていません。


頑張って”勉強方法”を探しているから、進んでいる感覚がするかも知れませんが、進んでいません。


この時点では、”登り始めるルートはどれにしよう?”という状態なのですから。


いつかは、「このルートで行く」と決めなくてはいけない時が来るのです。


目的地は決まっているのに、ずっと「準備中」?


また、早い時点でルートを決め登り始めた人と、今から「あっちより良いと思っているルート」を登り始める人では、結果的にどちらが早く山頂に到達できると思いますか?


殆どの場合、前者なのです。


なぜなら、前者の人は既に山のふもとにはいないからです。


そして前者の人は、実際に進んできた事により、「足の使い方が分かってきた!」や「こうすればこけないで進める!」、「こういうルートで行くのが良いんだな。」などの、「どうすれば登っていけるのか。目的地に着けるのか」が、実感として分かってきているのです。


もう既に麓にいた時とはレベルが違うのです。


既に進んでいて、実体験によりレベルが上がっている人と、実体験でのレベルは変わっておらず、これから登り始める人とでは、どちらが目的地に到達しやすいのでしょうか?


目的地を決めたならば、一刻も早く登り始めなくてはいけないのです。


目的地が山頂であるならば。


ヘリコプターを使うのも良いです。


ヘリコプターが使えるのならば。


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何をすれば、進んでいくのか?


「最良のルートを探す」のが目的ならば、「更にルートを探す」のは全く問題はありません。


なぜならそれが目的に直結するからです。


ですが、山頂が目的地ならば、「ルートを探す」という行為は、直結する事の前の段階の事柄です。


こういった事に時間をかけてはならないのです。


なぜなら、それに時間をかけても、それ「だけ」では目的に向かって1mmも進んでいかないからです。


前の段階を使い、直結する事をやって初めて1ミリ進むのです。


時間を多く割くべきなのは、直結する事なのです。


「試験本番で合格点をとる。」に直結する様なものに、より多くの時間を使うべきなのです。


なぜなら、試験の場合そこが目的地だからです。


「仮に、今やっている事を10年続けたら目的が果たせるのか?」 と常に意識していると、直結している行動なのか直結していない行動なのかの判断ができると思います。


ノートを10年まとめ続けるだけでは、合格しないわけです。


ノートにまとめた事を頭に入れて、初めて1mm進むわけです。


実際に進み始める前にすべてを知ることはできない?


また、ルートは常にあなた自身によって変化させられていくのです。


登っていれば、A’を見つけられる様になります。


登り始める前には、あるのかどうかも分からなかったA’を、Aのルートを登り始めた事によって初めて見つけられたのです。


しかもこれは、あなた自身の経験に裏打ちされたルートなのです。


あなたのオリジナルのルートなのです。


そして、A’はA”になりますし、Bにも、Zにもなっていくのです。


そうして見つけていったルートは、「その時点でのあなたが実感しているあなたにとっての最良のルート」になっているのです。


このルートは山のふもとで、「もっと良いルートがあるんじゃないかな。」と、右往左往していたら絶対に見つけられなかったものなのです。


山のふもとにいたら、山の中腹の景色は「想像」はできても「実感」はできないからです。


最良は、誰にとっての最良?


そして、そのあなたにとっての現時点での最良のルートを振り返ってみて下さい。今までに経験した勉強方法以外のうまくいったルートを思い出して下さい。


万人が通れる道でしたか?


殆どの場合、あなた自身にとっては良いルートだけれども、万人に最良とは言えないはずです。


同じ様に、勉強法も自分に合っている効果的な方法は、自分で作り上げていくという事なのです。


自分自身で作り上げていくのです。


もちろん、王道や幹の所は万人におすすめできるでしょう。


ですが、枝葉のところは個々人によって、好き嫌い、向き不向き、状態、考え方等いろいろな部分が違うのですから、「これが良い方法だ!」と万人に言うことはできないのです。


ですから、王道や幹の部分をある程度理解したならば、わりと良さそうだと感じるルートを見つけたならば、すぐにでも登り始めなくてはならないのです。


やっていく内に感じたり、見つけたりする事の方が重要な事である場合が多いのです。


いつのまにか目的の前の段階が、”あなた自身によって”目的にすり変えられていませんか?


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